外国人との英語での会話で知ったコミュ力という言葉の認識
コミュ力とはコミュニケーション能力の略で、ほうれんそうがうまくできる、日常の会話を楽しくできる、そんな能力のことを言うのであろう。
ただこの定義は漠然としており、具体的になんだかわからないままいた。しかしあらためてそれを実感する出来事に出会った。
facebookをやっていると、海外の方から友達申請が来た。これもなにかのご縁ということで許可をした。
「まあ単なる数増やしのための申請だろ」と思っていたのだが、相手からまさかのメッセージが!
以下僕と相手のやりとりだ。
相手:何歳ですか?
自分:○○歳ですよ。あなたは?
相手:××歳です。若く見えますか?笑
自分:若いですね!びっくりしました
相手:あなたも若く見えますよ。
このあと、私は返しを何も思いつかず、結局「ありがとうございます。ところでどこ出身ですか」と尋ねた。
これってコミュ力がないと捉えられる出来事ではないか。それは「会話を広げることができない」ということだ。
会話を広げられないというのは二通りあると思う。
1つめは、「無言になってしまう」もうひとつは「質問づくしに終始する」ということだ。それが今回英語で会話するにあたって顕著に現れた。
今回であれば、返事で「海外の人って大人びてるイメージありましたけど若く見える人もいるんですね」と返したいとしても英語で表現できないから「無言になってしまう」。ただ会話を続けたいので「出身地は?」と話題を変える。という具合である。
つまり日常会話において、話題のネタが自分に分からないことだと、自分で表現できないから「無言になってしまう」し、「自分のわかる話題に話を変えてしまう」ということだ。これがコミュ力がないことの原因だと私は認識した。
だから打開策として、「自分が表現できる手段を設ける」(英語という会話の表現方法や、話題の表現ネタなど)と、「話題の切り替えはさりげなく」つまり唐突な話題チェンジは「私はその話興味ありません」というアピールになるので避けるようにする、というのが考えられた。
◆まとめ
改めて英語勉強しようという気になりました。特に文法と単語は、即座に思いつくように勉強しましょう。そして日本語での会話でも、先述の2点に気をつけてコミュ力がないと思われないようにしようと思う。(そういやなんかの本で会話を広げるには、その話に絡めて違う話題を提供するというのがあった。それも使っていこう。)