カフェの店員がやっていた少しの気遣い。
私は気分が乗らないときは、少し遠くの繁華街にあるスターバックスやTURRY'S COFFEEなどといった少し洒落たカフェに行く。自分の意識を強制的に変えるためだ。このようなカフェはビジネスマン向けという印象があるだけあって、Mac片手に来る人、仕事の休憩中なのかスーツ姿の人などスマートな人が来店してくる。いわゆる「大人のカフェ」だ。だから私は周りを見て、「背筋を正さなければならない」「怠けていてはいけない」と触発されるのだ。
今回も相変わらず気分が乗らなかったのでTURRY'S COFFEEへいった。
そして、そこで店員の気遣いを実感できる出来事に出会った。
それは
「袋に入ったストローをカップに差す際に、まず飲み口以外の部分の袋を切り取る。そして飲み口部分の袋を持って突き差し、差し終わった後にその部分を取り外す」
という行為だ。
実際、こういう行為はやってもらわなくても全く問題ないし、ストローなんか自分でさしても差し支えない。
ただ、これこそ「相手の立場に立って考える」ということではないか。もし飲み口に素手で触ってしまうと相手は不愉快に感じてしまうかもしれない。だから飲み口は触らないように、ストローの袋を使おう。という考えのもと行ったのであろう。
このような小さくとも目に見える気遣いに、人は感動するし嬉しくもなるのだと感じた。
ただ、これを当然と思い、やらない人を悪だと決め付ける、そのような傲慢な行為はやめるように努めたいな。
特定秘密保護法案成立の反対意見が論理的でないため困る
特定秘密保護法案が可決した。当然賛成意見、反対意見が多く見られる。そんな中、法案に対する反対意見が、一見正当のようで実際は論点がずれてたり論理性がなかったりと、意見として成り立たなかったように思えた。
なお、私はもちろん「反対意見が稚拙だから賛成」という立場も取るつもりはない。法案を色眼鏡なしで検討しきちんと結論を出したいと思う。今回は主張のありかたを論点として伝える。
では、どんなものが反対意見として見られたのか。
◆反対意見
「特定秘密保護法案は知る権利を奪う」
これは論理性に欠けている。この法案のどういう点で知る権利を奪うのか。特定秘密に指定される情報をそもそも知る必要はあるのか。と疑問は尽きない。説明不足であるため、この意見を反対意見として紹介するのはおかしいと思われる。よってこの意見をもとに反対を唱えるのは奇妙だ。
「特定秘密保護法案に反対するデモ隊が国会前に集まっています」
これは報道に関することである。事実ではあるが、今回の可決に関連して報道する必要があるのかと思う。デモ隊がどのような考えで反対しているかわからず、そればかりか私たちには「デモ隊が、特定秘密保護法案反対と叫んでいる」としかわからない。論理的ではないのに「反対しているから悪法」と捉えられうる主張は問題だ。
「数の力で賛成されてしまった・保護法案撤廃に全力を尽くす・抗議を尽くす」
これも先述のとおり論理性がかけるのにも関わらず、まるで悪法のように感じさせる意見である。「○○が問題なので、抗議する」との主張の方が、納得できると思う。
またもし、強行採決が問題なのであれば、それを改善する方向へ国会が働くべきである。特定秘密保護法案だけの問題ではないから、強行採決されたから反対という意見も変だと思われる。
私が見たものがたまたまこうであったのかもしれないが、自分で判断したい人々にとってはこのような反対意見を紹介されたところで、むしろ困惑してしまうのではないか。報道においては時間の都合等、様々な問題も絡むため一概に全て報道が悪いとは言えないですが。
私もこのブログでは論理性、客観性を意識するときは意識すべきだと改めて実感した。
自己正当化する性格への懺悔
行動力のなさを正当化する癖に悩んだことはないでしょうか。
私は今日それを痛感する出来事がありました。
本屋をうろついていると「LOVE理論」という本を見つけた。この本は奥手な男性が恋愛に積極的になるようになるにはどうすればよいかを紹介する本であった。とはいっても自己啓発本にあるような類の「こういう時は○○をしましょう」などの具体的な手法を紹介するのはなく、恋愛に対する意識を変えろという内容であった。
例えば、
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奥手な男はひとりの女性しか愛さないからそこで精一杯に頑張って「アッアノ・・・」ってコミュ障気味になってしまうのだ。それを捨て、いろんな女性にアタックしろ。そうすればその女性とうまくいかなくてもすぐ気持ちを入れ替えられるんだ。尻軽なんじゃない。そもそも好きになるなんて外見から入るのだ。内面を好きになったと感じるのはやめろ。数年過ごした夫婦ですら相手の新たな一面を見つけるのだ。だからそんな内面を好きになったなどと幻想は捨て、いろんな人と付き合え。そうして付き合った人と長く過ごすことで自分の本当のパートナーが見つかるのだ。
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といった具合だ。
これを読んだ時に、女性にがっつくのを良しとしないと考えていた私はハッとし、恋愛に限らず「自分の行動力のなさを改善するように努めよう」と意識した。むしろ「今までひとりの女性を好きになる純粋な私」というのは自分の行動力の無さを正当化していただけであったのかもしれないと。
しかし、自覚したところでそれを実行しなければ、自己反省は意味はなさない。
そう思っていたのだが、またしても私の悪い癖が出てしまった。
私はとある商品を店頭販売している場面に出くわした。前々からそれに興味を持っていたため、具体的な説明を聞きたかったのだが、結論として私は聞くことはなく立ち去った。
その理由は「聞いたところで何になるんだ」「別にネットで調べられるしいいじゃないか」と考えたからだ。改めて見ると自分を正当化する言い訳ばかりだ。実際は「話しかけるのが嫌だった」それに尽きるのにだ。
再び、自分の「正当化しがちな人間性」に嫌気が差した。
そのものに対して思った最初の感情を大事にする。
自己正当化する自分に嫌気が差したらそれを実行するように努めるべきだ。
こういうのが視点を変えて考えるってことなんだろうな
アルバイト中、作業していると横の部屋が非常に騒がしかった。「うるさいな」とは思っていたが、仕方ないのかなって諦めていたので無視をしていた。
しかしその内の一人が、こちらの部屋に友達と来て要件を済ませたあと、帰り際にこういった。
「印刷中の理事会室って、あんなに丸聞こえなんだね(笑)」
「変なこと喋れないな」
これを聞いたとき僕はなんとも得難い感情を感じた。その時はわからなかったが後に考えると、
本来はこちらを気遣って
「横の部屋で騒がないようにしよう、また騒がないように皆に言おう」
と考えるべきではなかったのか。
これは、「相手に対する思いやり」「相手の立場になって考える」「深い視点を持つ」ということにつながると思う。
実際問題、僕もそういうことを向こうの立場だと思いつかなかったと思う。
「現状を認識して」→「それがどういう意味を持つのか(身内以外にはどう捉えられるか)考え」→「それが問題であればどういうふうに解決するか」
というフレームで考えてみると僕も思いやりを持てるはずである。
今回であれば、「隣の部屋はうるさい」→「こちらの部屋にいる人にとって(身内でない)うるさい」→「騒がしいと感じるのは不快なので改善する」→「改善法として、声を抑える、もしくは喋らない」と考えることができる。
例えば、「PCを一日中することですべき作業が滞る」→「僕と関わる人にとって100%のものを引き出していないので手間が増える。」→「相手の手間を減らすために一緒に関わる仕事では十分に行動する」
などである。いかんせんうまく例が思いつかなかったが、「現状を相手の立場に立って考えるとどう感じるか」というのを意識して行動してみようと思う。
今日のほっこり
今日は散々な一日だった。バスを使い書類を届けに行ったはいいが、その肝心の書類を忘れ、傷心のまま帰ろうとしたが、バス停を見失い結局1時間近くさまよってようやく見つけ帰宅。テンションダダ下がりだった。
出鼻をくじかれたまま、帰宅し、気分を変えるためにスターバックスへ行った。
その時に安定の(?)ドリップコーヒーアイスを注文した。その後注文対応を見守っていたが、コーヒーを淹れる透明のコーヒーカップに何かしらマジックで書いていた。
多分、注文を間違えないようにメモを書いてたんだろうなって思ってその時は特に気を止めずにいた。
で、飲み終わったあとカップを見ると「Thank You」の文字が。
疲れていた中にそういう気遣いがすごく嬉しかったし和んだ。手書きで書かれることで人の温かみに触れられていろいろ救われた気になった。
帰宅後感動を噛み締めてると、そのさらなる魅力に気づいた。
透明のカップに黒いマジックで書いて、そのあと黒に近い色の珈琲を入れていたってことで「コーヒーが入っていたときはその文字は見えないが、コーヒーを飲み終わると気づく」ってことだった。
もうさらに感動。
こう言うマニュアル化している接客業の中に少し人の温かみに触れられる行為をされると嬉しいよね。
■
目標を見つけるためにやることは見聞を増やすことだと思う。
自分が興味を惹かれるものは自分にないものであるから。
見聞を増やすためにできることはなんだろう。
本を読む・いろんな人のブログを読む・新聞を読む・テレビを見る・やったことないことをとりあえず全力でやってみる。
やってみようか。
計画性とやらを身に付けるために今日の日常を振り返ってみる。
いわゆるPDCAサイクルってやつですね。
PDCAサイクルってのはPlan(計画) Do(実行) Check(確認) Action(処置) の4つから成る行動サイクルのことです。
これをやることで定期的に自分の行動を見返し、行動を洗練させることができます。
- Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する
- Do(実施・実行):計画に沿って業務を行う
- Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する
- Act(処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする
まあ詳しい説明はWikipedia等の他サイトに説明してもらうとして笑
やったらこうなるよってのを皆に紹介しようと思います。
8時 起床
~10時頃 TV見る
~12時 昼寝
~13時 昼食
~17時 学校
~19時 ミスドで予習・食事
~22時 TV
~23時 風呂
今!
ってわけです。
あのー書いてて恥ずかしくなったんですが、特に今日は何もやってない日でした・・・。
ま、、まあ振り返ってみましょう。
まずは午前。
生産性のない活動をしてたのがわかりますね。まあ前日徹夜してしまったのでやる気がなかったのは仕方ないかもしれませんがこれはひどい。
じゃあどうしたらいいのか
まずは頭をリセットしてやるべき行動する必要があると思うんですよね。
例えば「珈琲を飲む」「朝日を浴びる」「ランニングする」などして頭を冴えさせます。
そして生産性のある行動「読書」「ブログ記事作成」「RSSチェック」「学習」などを行いたいですね。
午後もおんなじ感じですか。
TVの時間が全体的に多いので、生産的な活動を増やしたいです。
TV惰性で見てるので・・・
そのためにやることは、まず「寝る前に明日の予定を詳細に立てる!」
それで行こうと思います。
それじゃ!