自己正当化する性格への懺悔
行動力のなさを正当化する癖に悩んだことはないでしょうか。
私は今日それを痛感する出来事がありました。
本屋をうろついていると「LOVE理論」という本を見つけた。この本は奥手な男性が恋愛に積極的になるようになるにはどうすればよいかを紹介する本であった。とはいっても自己啓発本にあるような類の「こういう時は○○をしましょう」などの具体的な手法を紹介するのはなく、恋愛に対する意識を変えろという内容であった。
例えば、
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奥手な男はひとりの女性しか愛さないからそこで精一杯に頑張って「アッアノ・・・」ってコミュ障気味になってしまうのだ。それを捨て、いろんな女性にアタックしろ。そうすればその女性とうまくいかなくてもすぐ気持ちを入れ替えられるんだ。尻軽なんじゃない。そもそも好きになるなんて外見から入るのだ。内面を好きになったと感じるのはやめろ。数年過ごした夫婦ですら相手の新たな一面を見つけるのだ。だからそんな内面を好きになったなどと幻想は捨て、いろんな人と付き合え。そうして付き合った人と長く過ごすことで自分の本当のパートナーが見つかるのだ。
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といった具合だ。
これを読んだ時に、女性にがっつくのを良しとしないと考えていた私はハッとし、恋愛に限らず「自分の行動力のなさを改善するように努めよう」と意識した。むしろ「今までひとりの女性を好きになる純粋な私」というのは自分の行動力の無さを正当化していただけであったのかもしれないと。
しかし、自覚したところでそれを実行しなければ、自己反省は意味はなさない。
そう思っていたのだが、またしても私の悪い癖が出てしまった。
私はとある商品を店頭販売している場面に出くわした。前々からそれに興味を持っていたため、具体的な説明を聞きたかったのだが、結論として私は聞くことはなく立ち去った。
その理由は「聞いたところで何になるんだ」「別にネットで調べられるしいいじゃないか」と考えたからだ。改めて見ると自分を正当化する言い訳ばかりだ。実際は「話しかけるのが嫌だった」それに尽きるのにだ。
再び、自分の「正当化しがちな人間性」に嫌気が差した。
そのものに対して思った最初の感情を大事にする。
自己正当化する自分に嫌気が差したらそれを実行するように努めるべきだ。